加藤素毛記念館(霊芝庵)の概要
徳川幕府の日米修好通商条約批准書交換のため、万延元年(1860年)77人の遣米使の一人として派遣された加藤素毛は、アメリカ軍艦の「ポーハタン号」で海を渡り、時の大統領ブキャナンに条約書を奉呈した後、約7ヶ月かけて世界一周を果たしました。
彼の残した航海日記や旅のスケッチなどがこの記念館に収蔵され、一般公開されています。
加藤素毛は、金山町下原郷兼帯名主を勤める加藤家の次男として生まれた。
加藤素毛が渡米の船旅の様子を書いた「亜行航海日誌」の原本は所在不明だが、加藤素毛のおいが書き写したノートを加藤素毛記念館が所蔵している。
加藤素毛記念館は、生家の跡地でもある。
施設名称 | 加藤素毛記念館 |
住所 | 岐阜県下呂市金山町下原町69-5 |
開館日 | 毎月1日、15日のみ開館 (12月から2月は閉館) |
入館料 | 無料 |
加藤素毛とは
加藤素毛は幕末から明治時代を生きた下呂市出身の俳人です。
日本人初の世界一周に随行した俳人として有名です。
1860年1月28日、日米修好通商条約批准書交換のための幕府遣米使節随行員77名の1人として、米軍艦ポーハタン号で品川沖を出港しました。
ハワイ、サンフランシスコ、ワシントン、ニューヨーク等を巡り、喜望峰経由でジャワ、香港等に立ち寄った後、同年9月28日、素毛36歳の時、無事に品川港に到着しました。
当時世界一周を果たした人はなく、この航海が日本人初の世界一周となりました。
また、加藤素毛は、見聞のすべてを日記・和歌・俳句・絵画などにして残しており、日米修好史上貴重な資料となりました。